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2015年度 第6回 流通(小売)業界(通算62回)

邊見 敏江 様  前 東京大学大学院経済学研究科 特任研究員
          元㈱イトーヨーカ堂 常務取締役

1.業界・業種

1.1総合スーパーの誕生と成長期

1960年代が主要企業の誕生期でした。1957年にダイエー、西友ストアー、1963年にニチイ、1969年にジャスコ、1971年にユニー、イトーヨーカ堂は1958年です。この時期は通産省が“流通近代化を促進”、流通革命を標ぼう、著名な諸先生は問屋無用論まで唱えられました。セルフサービス方式を導入し、しばらくは高度成長時代そのものでした。

1.2近年の状況:店舗数増加、売上伸びず

1970年代に入りますと大型小売店舗法が施行され、営業時間や休日日数、店舗面積で規制を受け、メーカーとも葛籐が起こり始め、成長のひずみが出始めてきました。体力が弱り始め、第二次出店規制、実質許可制に移行、再建や進路の模索を余儀なくされました。店舗面積は、1989年~2006年の17年間で2培になりましたが、売上高は逆戻りしました。1㎡当たりの売上高はピークだった91年度は約120万だったが、2006年度は60万円と半減しました。その後も同様であります。2014年の全国スーパーの売上高(既存店ベース)は、18年連続マイナスとなっています。

2.イトーヨーカ堂グループ

2.1事業の紹介

イトーヨーカ堂グループは、コンビニエンスストア、スーパーストア、百貨店、レストラン、銀行、ネットショピングなど、多彩な事業を展開している。148社に上る事業会社でグループを構成、私達は、業態を超えたグループの輪を広げ、よりつながりを強固にしながら、全体の力を結集し、時代とお客様のニーズに応え続けています。

2.2イトーヨーカ堂:扱い商品・ターゲットとする顧客・売り方

(1)ファツションから食品まで、他にない価値のある商品を提供しています。衣料品の中心となるのが、「GALLORIA」「Kent」「good day」「機能性肌着」の4つのコーディネートブランドです。これまで婦人、紳士、子供の服種ごとに進めていた開発を各担当者が連携する「横断型商品開発」に移行、情報の共有化、素材や生産工場の共有化などを加速し、SPA(製造小売)型の商品づくりを推進し、専門店化ブランドとして接客も強化しています。
(2)安全と安心をさまざまな食品に「顔が見える食品」 お客様に「安全・安心」でおいしい食品をお届けするイトーヨーカ堂の食品ブランド「顔が見える食品」一番の特徴は野菜、果物、肉、魚、卵などの食品を、生産者一人ひとりの名前と似顔絵をつけて販売していること。また生産者のこだわりやレシピなどをホームページで紹介しています。全国約5,000人の農家や畜産家など生産者と協力して、お客様が本当に安心して購入できる食品づくりに取り組んでいす。
(3)バラエティに富んだ売り場とサービスで、楽しさ、便利さ、豊かさの提供
  ・鮮度抜群の朝採り近海魚がズラリ「近海魚コーナー」
  ・今晩の調理メニューやアイデアを発信する「クッキングサポート」
  ・働く女性や高齢者のお買いものをサポート「ネツトスーパー」
  ・高齢者の生活をトータルに支える品揃え「あんしんサポートショツプ」
(4)専門性の高いお客様ニーズに応える売り場づくり
地域マーケツトに合わせた多彩な店舗を展開しています。イトーヨーカ堂は、お客様や地域マーケツトを徹底的調査し、商圏に合わせた店舗を開発しています。大型ショッピングセンター「アリオ」を初め、上質、適量、簡便をコンセプトにした都市型小売りスーパーなど、多彩な業態で、お客様に応えています。

3.入社以来の主な仕事

3.1職歴・教歴・研究歴(大学20校、DP5本、著書3冊)

1960年に入社しました。配属は経理課。1961年に企画調査課に配属、予算統制制度、稟議制度、社内報告制度、印監使用簿制度など内部牽制制度開発などの補佐を行いました。

3.2各年代の代表的な仕事:やりがいを感じた代表例

・1960年代:社員から見た長期計画立案「私達の未来」
 1965年コンサルタントの城功氏を手伝い、「なぜなぜ運動」「100%サシミ調査」などを実行、社名変更に伴う「私達 
 の未来」を作成、発表いたしました。働いている社員の立場から未来を示した長期経営計画です。具体的な未来の 
 会社像を語りました。
・1970年代:株式上場に向けた経営基盤整備「株式発行目論見書」を作成(1971年)。
 会社の信用・イメージ向上、資金や人材、商品の調達など有利に運ぶため、会社を公器にすべく東京第二部市場
 への上場を計りました。上場審査部から上場に関する127の質問に即答、大変驚かれました。また、株主にご損を
 掛けないため、公募価格を低くしました。どの経営指標を組み合わせても4ケタの公開価格になるところ、悪い指標
 を集め880円としました。初値は1,440円につきました。準備に5年以上もかけたものです。
・1980年代:「IYグループのマネジメント・システム開発(1972年着手80年答申)
 持ち株会社の設立は禁じられていました。1997年の解禁でありましたが、イトーヨーカ堂は1980年にグループのマ
 ネジメント・システムを開発、グループの一体的経営を行ってきました。2005年設立のセブン&アイホールディング
 の.25年も前のことです。併せ業務改革推進(1982年着手2003年まで)も実行しました。
・1990年代:中国事業開発(1994年着手2002年、まで)
 1994年7月から経営政策室で多くの仕事を兼務しながら中国の仕事を兼務いたしました。2003年退任するまで98
 回も出張、成都イトーヨーカ堂は日本を超えた業績です。失敗は、円・ドルレートの読み違い、家賃情報不足による
 高値での楯もいの賃貸契約、人口を即購買力と見間違いたことなど。現在成都は6店、北京は5店舗です。