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ドイツ・ボッフム大学の思い出 飯野由美子

私の生涯の中にはいくつかのとりわけ幸せだった期間がある。1つは4歳まで祖父母と犬と一緒に川越の豊かな自然の中で過ごした時期、そして43歳、ドイツ、ボッフム大学で過ごした1年間である。
ボッフムは、デュッセルドルフから北東に車で50分程の大学町である。銀行論の法皇と言われた教授のもとで、若い助手の方達と毎日朝7時~夜10時まで研究に時間を費やした。朝一番早く講座に来ている私に、続々と出勤してくる講座の仲間達は力を込めて“Guten Morgen, Frau Iino!“ と声をかけ、何かしら話しかけていく。私も満面の笑みで答える。
何よりも一番好きだったのは“Kafeezeit“(カフェツァイト―コーヒータイム)だった。朝10:30頃になると、隣の学生アルバイター室でカチャカチャ準備の音が始まる。しばらくすると大きな声で“Kafeezeit!!“ みんなそれぞれ黒パンにチーズなどをはさんだサンドイッチをアルミ箔にくるんだもの、階下のカフェテリアで買ってきた果物たっぷりのクーヘン(ドイツケーキ)などを持参で集まって来る。大きなコーヒーメイカーで淹れた深煎りコーヒーの湯気の向こうで若い助手の人たちが面白可笑しく日常の話をすると、みんながどっと笑う。何が可笑しいかわからずにいる私に、教授秘書のフラウ・ニッケルが解説を加え、一瞬遅れて私も笑う。
こんなカフェツァイトで「夜大学構内が危険だから車を買いたい」と言い出すと、みんな総出で中古車探しをしてくれるのである。フラウ・ニッケルはペーパードライバー教習をやってくれる先生にすぐ電話をかける。震える足でアクセルを踏み、初日からアウトバーンに出された。ドイツのアウトバーンは速度制限のない区間がほとんどで、240キロくらいで一番左側のレーンを走っているポルシェを大型バイクが縫うように追い抜いていったりする恐ろしいところだ。気の小さい私はスピードが出せない。先生は終始「フラウ・イーノ、ビッテ、ガースゲーベン(アクセルを踏め)! ガースゲーベン!!」と喚かねばならなかった。しまいに140 キロくらいで何とか運転できるようになった私を見てフラウ・ニッケル、「おー!スムーズに運転できるようになったじゃない!あなたもドイツ人よ(^_-)」
広いキャンパスの横は林だった。夕方になると西側の窓から夕日が差し込むので、帽子を被ってPC 画面を見る程だった。でも美しい陽がもったいなくてブラインドを下ろせない。素晴らしい夕日が林から透けて見え、次第に向こうの丘陵に沈んでいった。徹夜で論文を書き終わった翌朝、この林の向こうにある堰止め湖にお散歩に行った。書き終わった充足感。犬や子供を連れた幸せそうな人たち。この充足感を味わうため、論文を随分書いた。
ドイツ語の2人称は2種類ある。距離の離れた人に話しかける時は“Sie“(ズィー)。家族や友達は“Du“(ドゥー)。それに応じて使う動詞の語尾変化も異なる。講座のみんなとは当然Sieで話していた。ところが、9ヵ月も経った頃、彼らをSieと呼ぶのは自分の気持とずれが生じてきた。彼らは「秘書さん」や「助手の方達」ではなく、もう大事な友達であった。そこで、ある朝カフェツァイトでそういう気持ちを素直に言うと、1人がやおら冷蔵庫にシャンパンを取りに行った。グラスに次々シャンパンを注ぎ終わると、握手して「イヒビンロラント!」。「ん」?という感じで彼を見ると、グラスを持った腕を私のグラスを持った腕に絡めると、そのまま彼も私もシャンパンを飲み干した。次々“Icin bin Brigitta!“ ?Ich bin Andreas!“ そうして全てのカフェツァイトに集まった人たちと腕を回してシャンパンを飲み干したのだった。
講座の人たちは、あるいはコンサルタントとなり、あるいは教授となり、あるいは銀行の取締役となった。しかし、私の思い出の中で、彼らはコーヒーの湯気の向こうで楽しそうに冗談を言い合っている大切な仲間なのである。