敬愛大学国際学部では毎年、世界各地で海外スクーリングを実施しています。2015年度は9月に、アメリカ合衆国のシアトル(ワシントン州。アメリカ西北部)で、「日本人移民の歴史と農業」をテーマに、8日間の研修を実施しました。「アメリカ人が全米で一番住みたい街」と言われるシアトルは、歴史的にも現代的にも日本との関係が深い街です。その時の様子をご紹介します。
ワシントン大学のキャンパスにて
成田を発って9時間、シアトル国際空港に到着しました。
まずは遠景にシアトルのダウンタウンを見てからホテルに向かい、その後、ワシントン大学のキャンパスへ。「広い!」「きれい!」「本物のリスがいる!」
時差ボケを早く直すコツは、眠くても我慢して、お日さまの光を浴びて歩き回ること。この日の歩数は15000歩を超えました!
9月9日 ワシントン大学での講義/旧日本人街訪問ほか
スミダ教授の授業風景
大学のセミナー室で、日系のスミダ先生による、シアトルの日系人の歴史に関する授業を英語で受けました。ドーナツやコーヒーを用意して待っていてくださった先生に感激。(1)ワシントン州の西北部は早くから日本人移民が入植した所で、当時シアトル、タコマが東洋貿易の窓口であったこと、(2)ネイティブ・アメリカンや北欧系、アジア系などの人口比率が高く、20世紀初頭の排日(アジア人)排斥が、カリフォルニアに比べれば穏やかだったこと、(3)特に外国人土地法の時代、ネイティブ・アメリカンの土地を耕作させてもらうなど親密な関係があり、日本人移民の農業も発展し、日米開戦の頃にはシアトルの人々に大量の野菜を供給していたこと、などを学びました。
ポテトに関する特別展示
スミダ先生の講義は、内容は難しかったのですが、「ゆっくりと話してくれたので少し分かったような気がする」というのが学生たちの反応でした。快い緊張だったようです。いつかアメリカの大学で勉強したいという希望も膨らんだようです。
講義の後はアラン・ライブラリーのスペシャルコレクションで、戦前・戦中の日系社会に関する資料を見せてもらいました。特に強制収容政策と闘った、当時、ワシントン大学の学生であったゴードン・ヒラバヤシの獄中日記には、同じ年頃なだけに驚いたようです。ポテトの特別展示に興味をもった学生も多かったようです。かつて主食でしたからね。ポテトの出来不出来は正に死活問題だったのです。
博物館に展示されていた劇場の緞帳
午後はダウンタウンの旧日本人街に出て、大型スーパーマーケットの宇和島屋で昼食。その後、日系人の敬老施設 Nikkei Manor で二世の方々とお話し、最後に Wing Luke Museum で日本人移民の歴史を辿りました。ホールの壁に掛かっていた緞帳は本物で、かつての日本人街の銀行や商店の宣伝が並んでいます。二階は昔の移民宿の部屋が再現されていました。皆、少し英語に慣れてきたようです。
9月10日 日系人強制立ち退きで知られるベインブリッジ島へ
日系人強制立ち退きのモニュメント
シアトル港から州のフェリーに乗ってベインブリッジ島へ向かいました。この島は、強制立退き令が出された時、48時間で立退きを求められたことで知られていますが、実は島の地方新聞の編集者が立退き反対のキャンペーンを貼るなど、温かい雰囲気があり、戦後の再定住がスムーズだったと言われています。近年できた、立退きの記念碑を見学、その後、Bainbridge 歴史博物館を見学しました。地元の日系人や学芸員の方々が歓迎してくださいました。
ベインブリッジ歴史博物館にて
その後、バスにゆられて50分。ハンスビルにある私設の日系パイオニア博物館を訪ねました。穏やかなピューゼットサウンドの海に臨む、静かなご自宅に併設されています。元西本願寺の開教師であった竹村師が集めた日系移民に関する資料が無造作に置かれています。
9月11日 Pike Place Market から シアトル仏教会へ
スタバの一号店
今日は一日、ダウンタウンで過ごします。まずはPike Place Market(公設市場)へ。シアトル一の観光スポットですが、学生さんの一番のお目当てはスタバの一号店。早速長い列に並んでいました。
市場の入口にあるパネル
この Pike Place Market、戦前は日本人農家が自分たちで作った野菜を販売していました。開戦時は実にこの市場全体の70%を占めていたそうです。その後、強制立退きを経て、現在では日本人のお店は一軒も残っていません。市場の入口に彼らの歴史を示すパネルが近年、掲げられました。
シアトル仏教会
お昼ごはんを済ませて、今度は Seattle Buddhist Church へ。輪番のカストロ先生がこのお寺の歴史について話してくれました。その後、お寺の中も案内していただきました。差別をさけるため、怪しく思われる正座を避けて、長椅子を揃えたり、Temple という言葉を使わずに Church と呼んでいるのだそうです。キリスト教会と同じように Sunday School があり、子供たちに日本語や日本の文化を教えているそうです。
イタリアンレストランでの夕食
夜は以前にタコマ大学で歴史を教えていたマグデン先生とイタリアンレストランで食事。このレストランがある、ホテルの近くの Northgate Shopping Center は全米で一番古いショッピングセンターだと聞きました。今回の旅行で初めてチップを払うことにトライしました。翌日、改めて自分たちだけで行ってみた人もいるとか。なかなか積極的でよろしい!。
山中の清流にて。紅葉が始まっていた
この日は週末の土曜日で、カスケード山脈を越えてウィナチーのリンゴ園にリンゴ狩りに出かけます。当初の予定では、ベインブリッジ島出身のイチゴ農家を訪ねる予定でしたが、昨春、農園を売却してしまったとのこと。最後に残っていた日系農家もこうして少しずつ無くなっていきます。
ウィナチーのリンゴ園にて
今年のワシントン州はとても雨が少ないのだそうです。紅葉が始まったばかりの山中の清流で休憩を取ったら、皆、蜘蛛の子を散らすように水辺に行ってしまいました。
ウィナチーは全米有数のリンゴの産地。昼食の後は、リンゴとナシの食べ放題。久しぶりにのんびりしました。帰り道は、山間のドイツ村 Leavenworth にも立ち寄りました。
色とりどりの農産物が並ぶ
最終日は、全米でもトップ10にランクされる、ワシントン州最大の農業祭「ピュアラップ・フェアー」を見学に出かけました。この農業祭は毎年100万人を超える人々が参加する大規模なもので、農産物、花卉、家畜の展示はもちろん、移動式の遊園地(メリーゴーランドやフリーフォールなど)や売店がずらりと立ち並び、子供から大人まで楽しめる、いかにも「アメリカ的な」お祭りです。
強制収容所キャンプ・ハーモニーの展示
ピュアラップは、シアトルの南方35マイルに位置する、広さ160エーカーの競馬場で、第二次世界大戦中は、日系人の強制収容所キャンプ・ハーモニーとして、7390名の日本人・日系人を収容したことで知られています。フェアの博物館の一角に、そのことを展示しているコーナーを見つけました。
移動式の遊園地も
最終日の夕方は、映画 Mission Impossible を観に行きました。字幕のない洋画を見るのは初めてだったそうですが、学生たちは「思ったより理解できた」とのこと。帰りの飛行機でも、行きの飛行機では聞き取れなかったアナウンスが分かるようになっていました。良かった!
短いけれど、できるだけ色々なものを詰め込んだ、盛りだくさんの研修旅行でした。
(文責:村川)