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歩いて回る海外スクーリング・オランダⅡ(蘭学)(2013年7月28日)

歩いて回る海外スクーリング」と題し、ゼミ活動の一環として都内のオランダゆかりの場所を訪問しました。今回は、築地周辺の様子を報告します。
築地の聖路加(るか)国際病院の前に、蘭学に関係するモニュメントがあります。築地本願寺や築地市場などと比べるとマイナーな存在ですが、国際学部の学生なら一度は訪れてみたい場所です。

①「蘭学事始の地」のモニュメント

「蘭学事始の地」のモニュメント

 ここは中津藩奥平家の下屋敷があったところです。この屋敷で前野良沢らがオランダ語の『ターヘル・アナトミア』を翻訳し、『解体新書』として完成させました。「蘭学の泉はここに」と記されています。杉田玄白や平賀源内が魅了された銅版画がモニュメントに刻まれています。

 前野良沢の師匠は青木昆陽です。青木昆陽は天明の大飢饉から人々を救いました。「甘藷先生」として敬われ、幕張には昆陽神社があります。築地と幕張では、蘭学という意外なつながりがありました。また、「甘藷せんせい 昆陽」という芋焼酎も一部では有名です。

②「慶應義塾発祥の地」のモニュメント

 福沢諭吉は緒方洪庵から蘭学を学び、江戸に出て蘭学塾を開きました。その場所が築地でした。また、その塾が今の慶應義塾となりました。

 しかし、横浜にいる外国人商人が英語を使っていることを知った福沢は、「いっさい万事英語と覚悟をきめ」、英語を学び出しました。詳しくは『福翁自伝』を読んでみましょう。福沢の声が聞こえてくるような読みやすい本です。

 余談ですが慶應義塾の小学校は、慶應義塾幼稚舎といいます。以前、幼稚舎の先生と一緒に仕事をしたとき、「6年間持ち上がりという悪しき伝統が百年も続いてしまいました」と話していました。私学には私学の伝統があり、独自の教育が実践されているようです。

 この二つのモニュメントは同じ場所に「日本近代文化事始の地」として並んで設置されています。

「慶応義塾発祥の地」のモニュメント

参加したゼミ生

③シーボルト胸像

 シーボルトと言えば長崎の鳴滝塾。しかし、シーボルトはドイツ人医師です。当時、医学の最先端はドイツでした。日本人がシーボルトから学んでいた蘭学は、実はドイツ医学でした。

 また、シーボルトの娘(昔「オランダおいね」というテレビ番組がありました)は、築地に産院を開いたそうです。そのような理由から、築地のあかつき公園にはシーボルトの胸像があるのです。

築地にあるシーボルトの胸像

(参考)オランダのライデンにある胸像

 1828年、「シーボルト事件」が起きました。シーボルトは幕府の禁を犯してまで伊能忠敬の地図を持ち帰ろうとしました。郷土の偉人との接点が、こんなところにもあったのですね。

(文責者:こども学科 山口政之)

「歩いて回る海外スクーリング・オランダⅠ」について

「歩いて回る海外スクーリング・オランダⅠ」の記事も、あわせてご覧ください。
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