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ホーム  > トピックス  > 第10回日本語弁論大会を開催しました。

第10回日本語弁論大会を開催しました。

最優秀賞は、経済学部1年のアジカリ キラン君!
2011年11月12日(土曜日・敬愛フェスティバル1日目)に、第10回日本語弁論大会を開催しました。

本年で10周年の節目を迎えた今回の大会は、本学で学ぶ外国人留学生7名が自らの主張や提言などを熱く語ってくれました。審査委員長が「甲乙つけがたかった」と講評するほどの接戦の結果、今年はアジカリ キラン君(ネパール・経済学部1年)が最優秀賞、林秀云さん(中国・国際学部4年)が優秀賞を獲得しました。
ご来場いただいた皆様、有り難うございました。
学部氏名学年出身地ゼミ演題
最優秀賞経済アジカリ キラン1年ネパール中山私の日本語はどうですか
経済宦 広娟1年中国(江蘇省)小林中国の教育について
思うこと
国際陳 巧鳳1年中国(福建省)高田ゼミ幸せの詩
国際譚 浩宇3年中国(山西省)中村日本の音
経済ウラタナサン
オドゲレル
1年モンゴル
(ウランバートル市)
中山私の国モンゴル
国際宋 爽3年中国(北京市)家近円滑なコミュニケーションのために
優秀賞国際林 秀云4年中国(福建省)中村石割桜との出会い

入賞者の発表内容

最優秀賞 アジカリ キラン君 「私の日本語はどうですか」

皆さんおはようございます。ネパールから参りました、経済学部1年生のキランと申します。宜しくお願い致します。本日は「私の日本語はどうですか?」というテーマでお話しさせて頂きます。
私は2007年4月4日に日本に来ました。このころ、私の日本語のレベルはひらがな、カタカナと簡単な自己紹介にすぎませんでした。日本語が話せなくて日常生活がとても大変でした。一番困ったのは理容室と病院、そしてスーパーでの買い物でした。
理容室に行った時はどんな髪型にしたいのかを伝えられず、店員が言った事も通じなかったため、マニュアルを見て何とかなりました。
病院に行った時も同じ状態でした。お腹が痛くて行ったのですが、30分かかってもそれをお医者さんに伝えられず、とうとう学校に連絡して先生に来てもらいました。おかげで5分後には診察ができました。
スーパーの話は大変面白いです。学校の寮で一緒だった友達とスーパーへ行ってコーンフレークを買って来ました。食べようとした時先生が来たので、先生も一緒にと茶碗に入れて持って来たら、先生がびっくりしたのです。なぜかというとネコのエサだったからです。先生が来なかったらネコのエサを食べるところでした。
私の最初のころの日常生活はこのようなことばかりでした。日本語学校で、日本語とともに日本の文化、規則、マナーなども教えてもらいました。最初に一番不思議だなぁーと思ったのは青信号でした。赤と黄は共通なのに緑だけなぜか日本は青と言います。日本人は青と緑の区別がつかないのかなと思って先生に聞くと、「つきますよ」と言われました。緑色でも青信号というのは、元々青は寒色全体を指す言葉だからだそうです。例えば緑は葉っぱでいうと青葉、青草という使い方があり、緑色を青という時があります。また、緑は色の名前ではなく新芽(BUD)、若々しいといった意味で使われる時もあり、黒々と艶のある若い人の黒髪を緑の黒髪、赤ちゃんをみどりごと言う言葉であることを教えてくださいました。しかし私には青信号は今でも納得できない言葉です!
他に太陽の色についていうと、日本では太陽の色は赤と習いましたが、他の国々はそれぞれ示す色があります。ネパールでは黄色かオレンジ、中国では黄色か白、アメリカでは黄色、エジプトではなんと銀色と言うのです。国によって太陽の色も様々に表されるのです。
また、中国人の友達から聞いた話しも皆さんにぜひ聞いて頂きたいです。寮の近くに湯と書いた大きい看板がありました。初めてそこに行った時、自分が思っていた事と全然違うと驚いていました。日本では湯というのは温泉又はお風呂屋さんですが、中国ではスープを表すのだそうです。スープ屋さんだと思って入ったのに温泉と分かってびっくりしたそうです。
例を上げればきりがないのですが、日本語学校の時、寮から学校まで自転車で15分かかりました。7月は日差しが強くて自転車通学が大変でした。そんな暑いなか、先生たちは「今日もいい天気ですね」と言うのです。最初、先生たちは何を言っているのかと思い聞くと 日本では晴れの日は天気がいいと言うのです。しかしネパールは農業国の為、季節に合った天気を「いい天気」と言います。だから梅雨の時期、雨の日でも「天気がいい」と言います。因みになかなか雨が降らないアラブでは、いつでも雨が降ったら「いい天気」というらしいです。
このように日本の言葉や文化を知れば知るほど言葉の使い方の違いに出会います。最近よく気になることなのですが、飲食店で注文した後店員が確認する時「ご注文の方これで宜しかったでしょうか」と言います。また会計時にお客様のお会計は○○円になりますと言います。この時の宜しかったでしょうかの使い方は正しい日本語でしょうか?皆さんも同じ使い方をしていませんか?そこは「ご注文以上で宜しいでしょうか?」の方がよいではないでしょうか?形容詞に「かった」をつけたら過去形になりますから気をつけて下さいね。そして「方」と言う言葉は、例えば学校から駅の方角、紅茶よりコーヒーのほう、のように「方面」の意味で使います。また、「なります」という言葉は、前は違う状態だったが今は別に変わったという意味で、例えば「氷から水になります。」と表現します。一番びっくりするのが店員だけでなくOLやサラリーマンの方々もこれで宜しかったでしょうか?と使っているのを耳にします。正しくないと知っていてもわざと使っているのか、知らなくて使っているのか、私は不思議でしょうがないです。
お話の最初に、私は皆さんに「日本に来たばかりの私の日本語のレベルは、ひらがな、カタカナと簡単な自己紹介にすぎませんでした」とお伝えしました。そのころは学校でも、アルバイト先でも買い物に行ったところで「日本語お上手ですね」と誉められました。6か月後、1年後、少しずつでも日本語ができるようになりましたが、その時も同じく「日本語お上手ですね」と言われました。今年、日本に来て5年目になりますが、今もアルバイト先や買い物に行ったところで「日本語お上手ですね」と言われます。5年前も同じ言葉、今でも同じ言葉!!!私の日本語はうまくなっているのでしょうか。
5年前から私の日本語のレベルアップについてとても心配になっています。5年間に私は日本語がどれほど上達しているのでしょうか。
皆さん、「私の日本語どうですか。」評価は皆さんにお任せします。
ご静聴ありがとうございました。

優秀賞 林 秀云さん 「石割桜との出会い」

皆さん、こんにちは。私は中国から敬愛大学国際学部4年に在学中の林です。
私は「石割桜と出会った」ときの事をテーマにお話します。

私が石割桜の話を聞いたのは、今から5年前宮城の仙台で始めてアルバイトをした小さな料理店でした。そのお店の名前は「石割桜」でした。石割桜とは、岩手県盛岡市にある巨大な花崗岩の割れ目から育った、樹齢360年を超える桜です。この桜は大きな石に成長を阻まれても諦めず、石を割って立派な桜の木になりました。
当時、中国で生活しているお父さんが事故に遭い半年くらいの入院を余儀なくされていました。高い入院費用の支払いの為、家の貯金が底をつき、私も留学を諦めて帰国しようと思いました。
その時「りんちゃんは石割桜のように力つよく頑張らないといけないよ」と石割桜の店長が日本に来て一番落ち込んだ時に励ましの声をかけてくれました。
宮城の仙台は、私にとってすごく特別な場所でもあり、私を成長させてくれた町でした。
しかし、3月11日東日本大震災が起こり私を成長させてくれた宮城が大きな被害を受けました。地震が発生した時私は、朝まで長い時間ニュースを見ていました。私の生活をしていた所の家が流された映像が脳裏に刻まれ、「杜の都」の代名詞を持つ美しいところが、壊滅的な状態になり、自分に何ができるかはわからないですが、どうしても仙台に行きたい一念で日々悶々と過ごしていたときに、敬愛大学がボランティア活動を9月21日~23日の計画していることを知り、迷わず参加を申し出しました。
被災現場に行き、地面に家の土台しかない被災地を見て、涙が止まりませんでした。
本当は、石割桜のお店と店長に会いたかったのですが、仙台のお店があった地域を何回も探し回りましたが、「お店は」ありませんでした。お店が有ったと思われる場所で、茫然と立ちすくみ、大切なものを失った虚脱感で、すごく寂しくなりました。
この学外授業のボランティア活動は、被災地の視察を行い「自然と人間の共生の在り方について理解を深める事を目的に名取市の愛島東部団地仮設住宅に行きました。ここには200世帯、約400人の人たちが、仮設住宅に住んでいます。この仮設住宅では、まさに“石を割っている桜”の人たちと出会いがありました。被災者たちとの交流は、2日間という短い時間でしたが、屋内外のボランティア活動を通して、被災した方々と貴重な時間を一緒すごし色々なお話しを伺うことができ、多くの事を学び、たくさん人たちとの出会いを通じて、良い想い出ができました。最初私は緊張しました。言っては行けないこと言ってしまい、辛いことお思い出させてはいけないと思ったからです。しかし 彼らは私たちより元気で、なんでも話してくれました。留学生の私たちが理解し易いようにあるおばさんは、自分が震災前に生活していた閑上(ゆりあげ)での様子を絵で描き、私たちに見せてくれました。また、私たち参加学生28名中7人の留学生の出身地を一つ一つ調べて地図帳を作って持ってくれました。ここでは小さいことですが、初対面の人とのコミニュケーションの取り方を学びました。私はすごく感動しました。集会所ではみんなで歌ったり、踊ったり、本当に楽しい明るく雰囲気でした。彼らは自分の亡くなった家族について話すとき、涙が出そうな状態になっていましたが“亡くなった人々の代わりに人一倍頑張らなければ行けない、もっと幸せにならなければならない”と言いました。この話から、むしろ私たちの方が、元気をもらっていました。そしてこの時、彼らは今成長中の「石割桜」であると感じました。
多くの日本の人々には、石割桜の精神を持った人がたくさんいると思います。
東北の人々は現在でも苦しい生活を過ごしているにもかかわらず嬉しそうに生活をしています。
被災地の人々と日本にいる人たちは力を合わしていけば、きっと石割桜のように石を割って花を咲かせ育つように、もっともっと成長できると思います。
そして現在この場所に立てている自分に、石割桜を教えてくれた皆さん、そしてずっと私に応援してくれた人たちに「ありがとうございます」と御礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
そして今4年生の私は同じく留学している学生たちに伝えたいことがあります。私たちはせっかく留学のチャンスをもらいましたのでもっと自分の世界から踏み出して、いろんな国の人々と交流して、有意義な活動に多く参加して、日本の文化が深く理解し、多彩な、後悔しない留学生活は過ごしていくべきと考えます。私たちは石割桜のようにもっと頑張って、日本で勉強したこと、日本で出会ったこと、日本で感じたこと等を、自分の国の人々に伝えるのは私たちの責任です。