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【国際学科】マクドナルド由美さんをお招きして、合同ゼミを開催しました(2016年12月5日)

12月5日の2年ゼミの授業で、米国在住のマクドナルド由美さんをお招きして合同ゼミ(庄司ゼミ・大月ゼミ)を実施しました。以下はその時の報告です。

ハチ公が結ぶ日米のかけ橋~マクドナルド由美さんのお話~

渋谷のハチ公像
(写真:マクドナルド由美)

 2016年12月5日、アメリカからいらしたマクドナルド由美さんに、ハチ公をめぐるたくさんの逸話をうかがった。マクドナルド由美さんは、『Reminiscence of Shibuya 1929-1938』というノンフィクション小説の作者で、由美さんのお母さんは、渋谷のハチ公が生きていた当時、渋谷に住んでいて、ハチ公をなでたこともあるそうだ。

マクドナルド由美さんの著書(写真:マクドナルド由美)

由美さんのお母様とご家族(写真:マクドナルド由美)

マクドナルド由美さん(写真:庄司真理子)

 由美さんは、ハチ公の物語を、英語のパワーポイントで紹介する。ハチ公がどんな犬だったか、学生たちは英文和訳をしながら、英語でハチ公の物語を学んだ。ハチ公は、1923年に生まれた白い秋田犬で、前足の形がハチの字に似ていたため、縁起の良い数字ハチの名前がついたそうだ。
 ハチ公は、ご主人の上野博士が駒場の東大農学部キャンパスに行くときは、一緒に歩いて行き、会合や出張に出かけるときは渋谷駅まで見送り、夕方に渋谷駅に迎えに行っていた。

ハチ公が生きていた当時の渋谷駅
(Wikimedia commons)

 幸せだったハチと上野博士。しかし1925年、上野博士が突然、脳溢血で亡くなる。生前上野博士は、出張で何日か留守にすると必ず渋谷駅に帰ってきていた。そこで、ハチ公は、上野博士がなくなった後も、毎晩、博士をお迎えに渋谷駅に行った。上野博士の奥様は、博士が亡くなった後、ハチ公を連れて渋谷から世田谷に引っ越した。しかし、ハチ公は、世田谷の家にはいつかず、渋谷駅に行ってご主人の上野博士を待ち続けた。渋谷駅で待ち続けるハチ公を見て、八重子夫人は、上野家の庭師で渋谷駅付近に住んでいた小林菊三郎さんに、ハチ公を預けることにした。ハチ公は、この世を去る1935年までずっと渋谷駅でご主人の帰りを待ち続けた。

本物のハチ公の写真
(Wayback machine)

 ご主人に忠実なハチ公は、当時の人々の人気者となった。ハチ公は生きている間に銅像が作られた。本人が生きている間に銅像が作成されるのも珍しい話である。最初に作られた銅像は、第二次世界大戦の折に、金属不足で供出させられた。戦後、二代目ハチ公像を初代銅像作者安藤照さんの息子さんで彫刻家の安藤士さんが製作した。

当時の渋谷のお祭り(写真:マクドナルド由美)

 由美さんは、銅像だけではなく、ハチ公が生きていた当時の渋谷駅、昔の渋谷の様子、当時の生活など様々な写真を紹介してくださった。
 由美さんのお母様のご実家は、中二階の下が大きく開いていて犬小屋になっていた。当時は、番犬として大きな犬を飼う人が多く、こうした場所がある家はかなりあったそうだ。

由美さんのお母様のご実家(写真:マクドナルド由美)

当時の由美さんのお母様と叔母様(写真:マクドナルド由美)

由美さんの興味深いお話に、身を乗り出して聴講する学生たち(写真:庄司真理子)

 ハチ公の人気は、渋谷駅や東京だけではない。ヘレン・ケラーも、ハチ公の話に心を打たれ「ハチ公のような秋田犬を飼いたい」と言ったところ、秋田県の小笠原一郎氏からプレゼントされて、アメリカに連れて帰り飼ったそうだ。由美さんの本には、ヘレン・ケラーのことや、ハチ公とは直接関係ないが、由美さんの祖父が、和歌山県沖で遭難し村民に助けられたトルコのエルトゥールル号慰霊碑を建てた経緯など、当時の日本と外国との交流についても書かれていて興味深い。

東大に建てられた上野博士とハチ公の像
(写真:マクドナルド由美)

 ハチ公の人気は、時代を超えて続く。2009年には、フジテレビ開局50周年を記念して、アメリカ版ハチ公物語が「HACHI 約束の犬」として作成された。さらに2015年3月、ハチ公の飼い主は、東大の教授だったということで、東大に「上野博士とハチ公」の像が建立された。迎えに来たハチ公に嬉しそうに手を差し伸べる上野博士の喜びあふれる姿は、見る人の心を打つ。
 この写真を見たアメリカ、ニュージャージーのアベイ・グレン(Abbey Glen)ペット霊園が、ぜひとも全く同じ上野博士とハチ公の銅像をこの公園に建立したいと東大に申し入れた。しかし、その申し入れを受けた東大側は「上野博士が東大の教授だったから、そのキャンパスに一つあることが望ましい」という意見もあり全く同じものをニュージャージーのペット霊園に建立することになかなか同意しなかった。そこで仲介に立ったマクドナルド由美さんは、ペットと飼い主の友情を表した東大の銅像が高い評価を得ていること、この銅像が、日米友好のかけ橋になることを説明した。難しい交渉を続け、ようやく東大の承諾をとりつけた。2016 年10月 9日、ニュージャージーのペット霊園で、「上野博士とハチ公像」の除幕式がなされた。

ニュージャージーのアビー・グレー・ペット霊園の上野博士とハチ公像除幕式
(http://www.abbeyglen.com/PublicPages/Home.aspx)
かわいい犬たちの姿が見られます。↓
https://www.youtube.com/watch?v=sf5GwzmSw58&t=7s

 ハチ公は、渋谷の、東京の、日本の人のみならず、海を越えてアメリカの人々にも、時代を超えて愛されている。

アビー・グレー・ペット霊園の上野博士とハチ公像
(米国ニュージャージー州。写真:マクドナルド由美)

(写真:マクドナルド由美)

お話を終えて、由美さんとの記念撮影
(写真:庄司真理子)

 学生たちは由美さんのお話に引き込まれた。そしてハチ公のひたむきな思いが人々の心を動かしたことに感動していた。学生たちの感想は「ハチ公は、幸せな犬だったと思います。」であった。実際の作者にお目に書かれて、感動的なお話を伺い、英語の物語、『Reminiscence of Shibuya 1929-1938』の購読にも、ますます力が入る。

 ハチ公はご主人の上野博士、奥様とともに青山墓地に眠っている。(写真いずれも:マクドナルド由美)
(文責:庄司真理子)