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ホーム  > 国際学部だより  > 【国際学部】活躍する卒業生たち(4) 小笠原華さん(日本語教師)

【国際学部】活躍する卒業生たち(4) 小笠原華さん(日本語教師)

 各界で活躍する卒業生を取り上げるコーナーの第4回は、日本語教師の小笠原華さんをご紹介します。

 小笠原さんは2009年度の卒業生で、在学中に日本語教員養成講座を受講して、資格を取得しました。一般企業勤務を経て、台湾で3年半弱日本語教師として働き、現在はTokyo One日本語学校千葉本校で専任教員として勤務されています。

学生時代

聞き手:先日は講演会でお話しいただき、どうもありがとうございました。初めてとは思えないほど堂々とした話しぶりで、素晴らしい内容でした。聴衆が少なかったのが残念でしたけど。

小笠原:貴重な機会を与えていただいて、私の方こそ感謝しています。ゼミの担任だった矢澤先生(現・上智大学外国語学部教授)が来て下さったのには、感激しました。


実は驚かせようと、内緒にしていました。矢澤先生も教え子の成長した姿を目の当たりにして、とても嬉しそうでした。では始めさせていただきますが、敬愛大学国際学部に入学したのはどうしてですか?

小笠原:アフガニスタンやシエラレオネの難民についての報道を見たのがきっかけで、国際協力について学びたいと思うようになりました。中東やアフリカの授業があることも、決めた要因です。
最初から日本語教師になるつもりだったのですか?

小笠原:入学当初は何か興味を持てることがないか、模索していました。資格を身に付けておくと就職に有利だと思って、最初は英語の教職課程を取ることにしました。その後に国際協力には様々な形があることを知り、自分には途上国で働くことはできなくても、日本語教師ならできるかもと思って、勉強を始めました。


英語教員と日本語教師の両方ということになると、相当大変だったのではないですか?

卒業式にて、仲のよかった留学生と

小笠原:大変でした。平日はアルバイトを一切入れずに、必死に勉強しました。でも日本語教師の勉強はとても面白くて、苦にはなりませんでした。
大学2年の夏休みに1ヶ月、卒業生の日本語教師の人から話を聞いて、タイで日本語教師のアシスタントをしました。最後の日に1コマだけ授業をさせていただいて、緊張していてよく覚えていないのですが、とても楽しかったのでまたやりたい、これが私の国際協力の形だ、と思うようになりました。


小笠原さんは決して目立つ学生ではありませんでしたが、読書感想文コンクールや論文コンテストでは何度も入賞していて、文章力には定評がありました。優れた言語感覚の持ち主で、日本語教師は天職かもしれませんね。

小笠原:ありがとうございます。母校で講演までさせていただいたわけですから、頑張ります。

卒業してから

卒業してすぐに日本語教師になったのでしょうか?

小笠原:日本語教師はほとんどの場合、非常勤つまりアルバイトで経験を積むことから始めなくてはなりません。逆に資格さえ持っていれば、いつでも始めたい時に始められる仕事です。まずは自立して生活の基盤を安定させようと考えて、普通に就職活動をして、地元企業に事務職の正社員として就職しました。

その時の経験は、何か役に立ちましたか?

小笠原:辛抱することを覚えました。毎日与えられた仕事をこなすだけで、自分で考えて行動しなければいけない日本語教師の世界とは、随分違っていました。

台湾日英語学苑で生徒たちと

なるほど。安定した立場を捨てて、先の見えない道に飛び込んだようにも見えますが、そう単純な話ではなさそうですね。日本語教師になったきっかけは、どういうことだったのでしょうか?

小笠原:日本語教師になる夢はあきらめておらず、ずっとチャンスを待っていました。1年半が経った頃、日本語教師の情報掲示板で台湾の学校が募集しているのを見つけて、よさそうだと思ったので応募を決めました。

いきなり海外で仕事をすることに不安はなかったのですか?

小笠原:私自身は行ったことはありませんでし、中国語も全くできませんでしたが、両親が台湾とのビジネスをしていて向こうの事情はわかっていましたので、特に不安はありませんでした。実際には言葉や文化、習慣の違いといった大きな壁にぶつかって大変でしたけど、その時に「外国人」を経験したことが、生きていると思います。

同じく台湾日英語学苑で生徒たちと

台湾ではどのぐらいの期間、日本語を教えていたのでしょうか?

小笠原:3年4ヵ月です。幼児から高校生までを対象に日本語を教えましたが、最も多く教えたのは幼稚園生です。最初は思うような授業ができずに泣くこともありましたが、目標とする先生を見て学び、自分なりにいろいろと工夫もしました。

キャリアを積んで、帰国したわけですね。

小笠原:最初は双葉外語学校で、非常勤講師で採用してもらいました。その後、双葉から独立して新しく日本語学校(Tokyo One日本語学校)を始める方がいて、声をかけていただきました。現在は常勤で、忙しいですが充実した毎日を送っています。

日本語教師の道

講演会でも話していただきましたが、日本語教師とはどういう仕事でしょうか?

小笠原:日本語学校で学ぶ外国人は、将来日本語を使った仕事をするため、勉強したいという希望を持って来た人たちです。日本語教師は日本語の指導はもちろん、日本で生活していくための手助けをします。マナーや常識も教えますし、他に頼れる人がいない可能性もありますから、相談しやすい関係づくりが大切です。

具体的には、日本語をどんなふうに教えるのですか?

小笠原:日本語をあくまでも「外国語」として教えます。ふだん私たちが意識せずに使っている日本語のルールや、日本人には当たり前すぎて考えることすらしない意味の違いを明確に伝えないと、外国人には理解できません。日本語教師養成講座では、外国語として見た日本語の文法や教え方を学ぶわけです。


後輩の皆さんに何かアドバイスをいただけますか?

小笠原:大学生の皆さんには、たくさんの可能性があります。でも受け身で何もしなければ、何もしないまま終わってしまいます。人生を面白くするのもつまらなくするのも自分次第、学生時代のきっかけ探しが重要です。興味を持ったものに挑戦してみて、協力してくれた人や厳しく指導してくれた人に感謝する気持ちを忘れないでほしいと思います。

本日はどうもありがとうございました。


記事の作成に当たっては、日本語教員養成講座をご担当されている長谷川頼子先生に、大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。
(聞き手:大月隆成)