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【国際学部】佐倉市との協定に基づく活動

 佐倉市は敬愛大学国際学部揺籃の地です。1990年4月に千葉敬愛短期大学国際教養科が設置され、97年4月、敬愛大学国際学部国際協力学科に改組されました。以後、2009(平成21)年4月に稲毛キャンパスに移転するまで、20年近くを緑豊かな佐倉キャンパスで過ごしました。
 その縁もあって、2015年2月17日、敬愛大学と佐倉市の間で、連携協力に関する包括協定が締結されました。今年度、国際学部の数名の教員により、総合地域研究所の共同研究助成を得て、「佐倉市との地域連携事業に向けての試み」を開始しました。その様子をご紹介します。(文責:村川)

世界陸上(北京)の通訳ボランティア

 佐倉市の依頼を受け、国際学部の学生が、世界陸上(北京)に参加するベルギー、アメリカチームの事前の公式練習や地元の子供たちとの交流会に通訳ボランティアとして参加した。(写真の掲載は制限されており、詳細は本学HP参照)2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、国際学部の学生の英語学習のインセンティブになってくれれば、と期待している。(8月14日・16日)

佐倉の街歩き

 土曜日、肌寒い雨の中であったにも拘わらず、6人の学生さんと、佐倉市役所の平岡さん、研究所長の薮内先生が参加してくださった。京成佐倉駅でまず平岡さんから佐倉市に関するパンフレット等をもらい、街歩き開始。武家屋敷、市立美術館、旧堀田亭を回る。将来的には、海外からの観光客を対象にした、英語での観光案内やボランティアを目指している。そのための第一歩である。(11月14日)

武家屋敷

 佐倉の面影を残す土塁と生垣の通り沿いに、旧河原家住宅、旧但馬家住宅、旧武居家住宅の3棟が並んでいる。江戸時代後期のものと伝えられ、上級、中級、下級武士の住居であったと説明される。佐倉キャンパス時代に寮があった場所に近い。写真は旧河原家住宅である。木造の日本建築は学生にとっては本当に珍しいらしく、雨戸や雨戸袋、濡れ縁やトイレの汲み取り口まで驚きの声を上げていて微笑ましい。

市立美術館

 続いて、城下町の中心に位置する美術館に立ち寄った。美しい建物は、正面のエントランスが1918年に旧川崎銀行佐倉支店として建設されたものだという。市内在住の画家高橋真琴先生の絵を鑑賞することになっていたが、偶然、高橋先生とお会いし、一緒に写真を撮影させていただく。1950年代生まれの世代には『よいこ』『マーガレット』の表紙の挿絵で馴染みのある絵が数多く展示され、壮観であった。

旧堀田邸

 最後の佐倉藩主、堀田正倫が1890年に建てた邸宅と庭園。玄関棟、座敷棟、書斎棟など7棟が国の重要文化財(建造物)に指定されている。伝統的な和風建築の工法と、ボルトやナットを使用した西洋建築の工法が混在している、との説明であったが、西洋風の建築が入ってきた時、一般的には洋館が建てられるのが一般的だったが、この建物のように、完全な和風住宅の随所(襖や天井に西陣織やジャワ更紗などの布が使用される、等)に「西洋式」が織り込まれた物は珍しいとのことである。また資材は日本各地の銘木を集め、東京で加工し、建築も東京の職人が行ったとのことであった。小高い丘に位置し、かつては周辺の田園風景を一望できたというが、今は木々が茂って眺望が失われてしまった。だが、周辺の近代的な建物が木々に遮られて見えず、広大な庭園は時代劇の撮影などにも使用されているという。
 堀田正倫はまた、屋敷に隣接する土地に私設の農事試験場を造るなど、この土地の農業と教育にも尽力した。堀田邸の一角に、試験場の建物や田植えをする人々の様子を伝える写真などが展示されている。この私設農事試験場は、県の試験場ができてその役割を終えるまで続けられた。堀田正睦から正倫まで、幕末から明治にかけての元藩主の生き方には心惹かれるものがある。