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ホーム  > 国際学部だより  > 三幣先生にインタビューしました。(2011年7月4日)

三幣先生にインタビューしました。(2011年7月4日)

変わりゆく国際ビジネスの現場

この4月本学部国際学科に着任された三幣先生に、先生のビジネス経験や本学についておたずねしました。
Q1. まず、最初に敬愛大学国際学部の印象の印象をお聞かせ下さいませんか?


他の大学での教員経験がなく、大学そのものが初めての経験なので、自分の学生時代との比較になってしまうのですが。そうですね。おとなしく真面目な学生が多いとの印象を持ちました。
逆に、「何かしたい」という意欲が薄く、「何をしましょうか」との迷いを持つようにも見えます。

Q2. 先生は、海外在住が長かったと伺いました。ぜひ先生のビジネス経験をお聞かせ下さい。

大学を卒業後、38年間商社に勤務し、ずっと国際ビジネスに関わってきました。
この間、海外駐在は3回経験し、5カ国に亘り通算で19年を超えます。担当した仕事は、主に鋼管(パイプ)の販売だったため、取引相手は石油の産出国となり、5大陸の50カ国以上に出張訪問しました。産油地域は、砂漠や極寒地もあり、危険な場面も体験し、決して楽しい旅ばかりではありませんでした。

最も緊張したのは、今から20数年前イランがイラクと戦争している時に、販売した製品にクレームが入り、現物確認を求められたイラン出張です。当時は、課長になって間もなく、危険を部下に押しつけることもできないので、意を決して出発しました。現場は、イラク国境から80KMの距離にあり、宿泊したホテルの壁には弾痕が残されていました。現場までは、テヘラン駅から片道20時間を要する列車の旅でしたが、駅には前線に移動する少年兵を多数の家族が見送りに来ており、異様な雰囲気を感じつつ兵員と同じ列車に乗って、国境近くまで南下した思い出があります。

3回の駐在は、国が違うだけでなく時代も異なったため、仕事内容は大きく変化しています。1970年代の最初の米国駐在は、日本からの輸出に注力しましたが、1990年前後のカナダでは、日本からの輸出よりもカナダ製品の販売が主役となる変化がありました。1999年からの中東駐在は、日本からの事業投資が主要な仕事となり、
現地に根付いた活動が求められました。
要は、相手があってのビジネスであり、自身に求められているものは何かを的確に把握し、対応して行くことが重要だと考えます。

他方で、日本であっても外国でもビジネスでは、信用が最も大事だと思います。信頼を得るための努力は、何時でも何処でも必要です。

Q3. 本学の学生に向けて、何かメッセージをいただけますか?

競争は悪だとの風潮を感じる時もありますが、人がいる限り、何らかの競争は避けられません。余裕があれば、譲ることも可能となります。若い時に、限界への挑戦、可能性の拡大に努めて欲しいと思います。運動でも、資格取得でも、趣味の世界でも何でもよいでしょう。

国際学部では、学生たちにグローバルな視点を養ってもらいたいと期待しています。色々な面で、世界の中での日本の地位は下がりっぱなしですが、外国なしに日本は存立できず、グローバルな視点は欠かせませんからね。

三幣先生、このたびは興味深いお話しを色々とお聞かせ下さり、誠にありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

左上 イラン最高峰のダマヴァンド山(標高5610m)を臨む(1999年)。
左下 リビアにて(2004年)。
右 ドバイにて