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| 敬愛大学 第4回高校生論文コンテスト 佳作 |
| 日本人がなくしたもの |
| 敬愛学園高校2年 島田 佳織 |
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北緯七度二十一分、東経七十九度、日本からベンガル湾を越えて約七千五百キロの都市コロンボ。 私が父の赴任先であるスリランカの都市へ一人で行ってみようと思い立ったのは、夏休みに入る少し前のことでした。 熱帯性モンスーン気候のむせ返るような暑さの中、開発途上にあるこの国の空港へ迎えに来てくれた父は、昨年の出発の頃より少し痩せてはいましたが、日焼けした顔からは精悍さが感じられ、私は一瞬たじろいでいる自分を感じていました。私たち家族のために、快適で便利な日本の生活を離れて、この泥道を小さな三輪自動車がひしめく熱帯の国で一人頑張っている父。そんな父を、私は心から誇らしく思いました。 滞在三日目に訪れた現地の友人クマラさんのお宅は、三世代が同居する大家族でした。そこで私は、驚くべき光景を目にしたのです。 お父さんが仕事から帰ってくるのを心待ちにしながら門口に立って待つ子供達。お父さんを中心に集い、団欒する家族。食卓のテーブルを囲みながら、お父さんの話す言葉を一言も聞きもらすまいと、その口元を食いいるように見る子供達。そこには、もう日本では失われてしまった父親の確固とした存在感がありました。 「お父さんが汚い!? 馬鹿なことを言うんじゃありません!!」これは、少し前、番組の中である年配の女性が、女子高生達を叱責した言葉です。テレビを見ていた私と母は顔を見合わせました。その言葉はそのまま、過去に私が母にもらした一言だったのです。 以前、確かに私は父が大嫌いでした。父は仕事やその付き合いで土日さえ家にいませんでした。会話をするとしたら説教や小言を聞く時だけ。家庭生活を犠牲にしてまで仕事に出て行く父を、いつしか私は、心の中で非難していたのです。 そしてその頃、私は、生まれて初めての試練を学校で経験していました。ある日突然、上履きの片方がなくなっていたことから始まり、机の上やノートに書かれていた「消えろ」「死ね」という文字。その後イジメはエスカレートしましたが、私は両親に言えませんでした。しかしとうとう我慢できなくなった私は、ある日、イジメにあっていると言う事実を両親に告げたのです。 次の日、父は会社を休みました。そして、私が登校するより一足先に学校へ行き、担任の先生と校長先生に抗議してくれたのです。父は次の日も次の日も毎日学校に来てくれました。まるで私の学校が父の仕事場になったかのように。父の目は真剣でした。父はきっと会社でも、こんな目で、土日も返上して、仕事をしていたに違いありません。私は頭から水を浴びせられたような想いと共に、自分が今まで父に対してとって来た言動を反省しました。私の率直な謝罪を聞いた父は、「家族っていうのは切っても切れない縁なんだよ。お父さんはお前達にどう思われてもいい。けれど困っている時はどんなことをしてでもお父さんが守ってやるよ」と言いました。その後、父のお陰で根拠のない噂が原因だったことが判明し、私へのイジメは全くなくなりました。 あのテレビ番組で「お父さんが臭いのはあんた達のために働いて流す汗と、仕事上の付き合いで飲むお酒の臭いなんだ。でもそれは、全部家族のためだということ。それをわかってあげなさい」と続いた言葉は、テレビを見終わってもしばらく私の脳裏を去りませんでした。 昭和という時代の半ばから、日本人は、その勤勉な国民性を武器に近代化への道をひた走ってきました。そして達成された経済は繁栄の代償として一番大切なものをどこかに置き忘れてしまったのです。 一番大切なものとは何でしょうか。それは、人が人として生きる足元、家庭にこそあるのです。切っても切れない縁で結ばれた家族。そして一生懸命働く父親。今、私達は、本来あるべき姿とは何なのかを自己に問い直す時期に来ているのかもしれません。開発途上の国にあって日本になくなってしまったもの、それは心豊かな暮らしを支える「お父さんの存在感」なのではないでしょうか。 |
| お問合わせ 敬愛大学高校生論文コンテスト係 |
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