海外スクーリング ~トルコ~
国際社会で芽生えた自信 水口 章
アヤソフィア寺院、ブルーモスクの見学に向う学生達。中央にガイドのフズリ氏
アヤソフィア寺院、ブルーモスクの見学に向う学生達。中央にガイドのフズリ氏

 2007年3月のトルコでの海外スクーリングを一言で表現すれば、「卒業旅行」と言ってよいだろう。参加者15人中に4年生が11人いたことも理由の一つだが、それ以上に、国際都市で個人行動を試みたことで、短い間に人間的に成長していく姿が見て取れたからである。振り返ってみれば、親日家が多く、他の国際都市に比して治安が良いイスタンブルは学生たちにとって「格好の教室」だった。

 1年を経た今でも、アルバムをめくらずとも、トルコでの学生たちの姿は鮮明で声まで聞こえてきそうである。

イスタンブルの魔法

 イスタンブルの宿泊先は共和国記念碑が立つタクシム広場のすぐ近くであった。その広場から、イスタンブルの銀座といえるイスティクラル通り(独立通り)の坂道が金閣湾に向かって真っ直ぐに伸びている。そこは車両制限が設けられおり、老若男女で賑わっている。夜遅くにイスタンブルに到着した翌日午後、この通りで短い自由行動の時間をとった。もちろん「スリには十分注意!」と脅かしてからだ。学生たちはグループになって、広場から人波の中にこわごわと入っていった。暫くおいて私も通りを歩く。本屋、レコード店、洋品店、庶民が楽しむセルフ式食堂「ロカンタ」で学生たちの姿を発見。好奇心で目が輝いている。ホテルに戻る道すがら、「日本語で話しかけられちゃった」「トルコ・コーヒー飲んでみたよ」「面白かったー」などと頬を高潮させて語り合っている。

 ほのかに潮の香がするイスタンブル新市街でのこの一時で、学生たちはたちまちイスタンブルに魅了されたようだ。

 同日夕刻、総領事館の堀口さんから現代トルコ事情の講義を受ける。疲れて居眠りをしないかと心配していたのだが、思いのほか、学生たちから質問がどんどん飛び出てきた。トプカプ宮殿やアヤソフィア、ブルーモスク、地下宮殿などの史跡見学では、タイムマシンで時代を行き来するような行程の中、学生たちはどんどんイスタンブルに惹きこまれていくようだった。また、ホンダ自動車現地工場視察では、文化の違いを乗り越え共同作業を行う難しさと素晴らしさ、世界で生きるとはどういうことかを学んだ。異文化に触れることの面白さ、奥深さを一瞬一瞬吸収していた。永遠の都イスタンブルは、学生たちにとって魔法の都でもあった。

カッパドキアの夢

 世界遺産の都市を離れ、学生たちは次なる世界遺産カッパドキアへと空路1時間半を飛ぶ。50km四方の地域の歴史と自然もまた、世界中の人を惹きつけている。カッパドキアの風景は、何万年をかけて火山や風雨で浸食された不思議な形の岩や丘からなっている。この岩や地下に人々が住み着いたのはBC8000年以上前といわれている。BC1900年頃のヒッタイト時代には交易地としても栄えた。ここに一夜の宿を取り、ギョレメ野外博物館、カイマルク地下都市などを見学した。  この夜は、ガイドのフズリ氏と学生たちが、暖炉を囲み夜が更けるのも忘れて語り合っていた。フズリ氏は高校でフランス語教師を務めた後にガイドに転職した方で、語学力もさることながら、豊かな知識と教えることに対する情熱が溢れ、暖かな人柄に満ちていた。学生たちとの会話は中部アナトリアの広大な風景の中を走るバスの中でも続いていた。おそらく、学生たちにとってフズリ氏は、単なるガイドではなく、文明の交差点であるトルコが育んできた文明、そして人間性を知るための導師だったのかもしれない。夢の中で見るような幻想的なカッパドキアを出て首都アンカラが近づく頃には、学生たちの顔が心なしか大人びてきたように思った。

トルコのお土産

 アンカラでは、トルコ共和国建国の父ケマル・アタチュルクの廟を見学。その厳粛な雰囲気に、国家とは何かについて思いを巡らせる学生もいた。一夜明けて、イスタンブルに戻る。旧市街のバザールやアジア側のウスキュダルで再び自由時間を経験する。カバルチャルシュ(屋根のある市場)と呼ばれるバザールで、学生たちは積極的にトルコ語を使おうとしはじめた。イスタンブルで有名なバザールは1461年に完成されたグランド・バザールと1660年に市場から回想されたエジプシャン・バザールが有名である。グランド・バザールは宝飾品、絨毯、キリム、陶器などの伝統工芸品やスカーフ、服地などの店があり、その数5000店といわれている。また、エジプシャン・バザールは香辛料を扱う店が多くい。学生たちがバザールで「メルハバ」(こんにちは)と声をかけると、「こんにちは。日本のどこから来ましたか」との答えが返ってくる。会話を楽しみながらも、“中東式”にしっかり値段交渉をしている。「かなり値切った」と自慢そうな学生もいる。日本と違い、値札のない社会である。そこでは自分の価値認識や交渉技術が重要となる。学生たちは異なる社会ルールにも戸惑いがなくなってきたようだ。  夕刻間近に訪れたアジア側の玄関口となるウスキュダルの町は、アルメニア教会などもありヨーロッパ側とは異なる趣である。庶民の日常生活を支える商店街を見学。世界的三大料理の一つトルコ料理の新鮮な材料が並び、夕食の買い物客で活気付いていた。学生たちは、ガイドのフズリさんにトルコ語についてあれこれ質問し、メモを取りつつ現地の人々に話しかけている。あの、こわごわと人波に入っていった学生たちはどこにもいない。  ボスポラス海峡を渡りヨーロッパ側に帰る船上、モスクの向こうに沈む夕日を見た。美しい古都イスタンブルから持ち帰った学 生たちの最大のお土産は、国際社会で時を過したことで「芽生えはじめた自信」だった。


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