卒業生の国際協力 〜青年海外協力隊(ガーナ)〜
地域発展のためにできること 平野 志穂
ガーナでは、男性も女性も好みの布を買って、
自分の服を仕立てます
ガーナでは、男性も女性も好みの布を買って、
自分の服を仕立てます

 ちょうど10年前に高校の進路相談の先生に手渡された青年海外協力隊のパンフレット。その時にはじめて協力隊の存在を知った私は自分の歩んでゆきたい道がやっと見え始め、いつかは協力隊に参加しようと心に決めた。

 そして今、私は青年海外協力隊、村落開発普及員としてアフリカのガーナ共和国に滞在している。

青年海外協力隊とは

 青年海外協力隊とは開発途上国の国づくり・人づくりに協力するボランティアで、派遣国の人々と同じ生活をしながら彼らの言語・生活を学びつつ、個人の知識・経験を使って活動する。現在派遣国は世界の約70カ国に及び、140職種の協力分野がある。最近は文系出身者が参加しやすい村落開発普及員・エイズ対策・感染症対策・公衆衛生・ソーシャルワーカーなどの職種も増えてきている。村落開発普及員に関して言うと、ほとんどの隊員が大学卒業後に一度社会経験をするか、大学院で開発学を学んでから参加している。

 派遣国や仕事内容に関しては募集時にインターネットで確認することができ、2次面接の際に希望を出すことができる。必ずしも希望国・希望の仕事(配属先)に就けるわけではないが、自分の経験などが仕事に合っていた場合、希望が通ることもある。私の場合も派遣国および配属先は希望通りのものであった。

派遣先、蛍が舞う緑豊かなニューアビレム

 ブーンとバイクで仕事先の村から帰ってくると「アジュワ!アジュワ!ウォーコーヘ?(アジュワ、どこへ行ってきたの?)」と町のみんなが声をかけてくれる。ガーナに来て1年半、こんな光景も慣れたものとなった。私が2005年4月に配属となったのはイースタン州ビリムノース郡ニューアビレムにある郡役所。イースタン州の中でも特に発展の遅れた地域と言われている。この地域はココア栽培とガーナ料理に欠かせないパーム油の原料であるアブラヤシ栽培をするために、各地から移り住んできた人々が多く住んでいる。

 ビリムノース郡では2001年よりローカルNGOであるガーナ家族協会(Planned Parenthood Association of Ghana) がJICA の資金供与を受けて、地域保健総合改善プロジェクト(Rural Health Improvement Project)を行なっている。このプロジェクトは栄養改善指導や家族計画、乳幼児健診、寄生虫駆除などのさまざまな活動を組み合わせて、地域の保健状況を総合的に改善することを目的としている。

 この地域保健総合改善プロジェクトは2006年12月にフェードアウトを迎えるため、その後もNGOが行なっていた活動が地域住民と地元関係省庁によって引き続き行なわれていくよう、関係者のキャパシティービルディングに携わることが協力隊の私に求められている仕事である。

初めてのアフリカ、ガーナでの生活

 せっかく行かせてもらえるなら絶対アフリカ!と勇んで出かけたガーナであったが、初めてのアフリカ文化に驚き、生活にも当初戸惑った。

 私は、村のサブチーフ(副村長)の家に住むことになったが、赴任早々に2週間水が全く水道から出てこないという体験をした。シャワーや洗濯、食器を洗うのもなるべく控えるものの、水がめの水がどんどん無くなっていくのは当初恐怖ですらあった。ガーナの多くの協力隊員は任地での水不足を体験するが、このような体験を通じて水の有効利用を身に付けていく。雨水をドラム缶にためて生活用水とし、米を洗った水で野菜を洗い、その後畑にまいたり食器を洗うときに使ったりと、今は水の大切さをひしひしと感じつつ、少量の水で生活できるようになった。今は1日バケツ一杯の水でシャワー、トイレ、食器洗浄など全てこなせるようになった。
個別訪問インタビューの様子
個別訪問インタビューの様子

 また、任地では停電が頻繁に起こるため、ロウソクで夜を過ごすことも多い。停電の夜は外に飛ぶ無数の蛍と月の光が非常に綺麗で、ラジオを聴きながら同居人とたわいもない話をして過ごしている。

 住んでいるサブチーフの家には多いときで20人が共同生活をしており、1つしかないトイレと水浴び場に非常に不便を感じ、ネズミだらけの暗い共同炊事場にびっくりしたものであるが、どんな環境でも適応していけるものである。共同生活をしたおかげで現地語であるTWI語の練習やガーナ料理の作り方を教えてもらい、庶民の生活を見ることも出来て興味深い。

 人付き合いで言えば、ガーナ人のアグレッシブさ、遠慮や恥ずかしがるといったことがない文化に最初戸惑った。特に自分の利益に関することは喧嘩が始まるのではないかと思わせるほどの勢いで主張する。また議論が好きで、自分の意見は非常に強い調子で主張する。当初はガーナ人の仕事関係者の勢いにおされてたじたじであったが、自分をアピールする訓練になっていると思う。まだまだ会議などでの発言は変に気を使ってしまって苦手であるが、少しずつ慣れてきている。

村での活動を本格的開始

 派遣後6 ヶ月まではTWI語の習得や地域のそれぞれの機関・組織の状況把握に努めていたが、6 ヶ月を期に単車が貸与されて自由に活動が出来るようになった。私は活動を人口が小規模(300〜400人)の3カ村に絞り、まずそれぞれの村の調査から始めた。朝は住民と共に水汲みから初め、午前中は畑へ行ってオクラやパームフルーツの収穫、午後はパーム油作り、夜はランタンの光の下でゲームをしたりしながら彼らの日常の生活を観察し、時間を見つけては各家を回って聞き取り調査をしてベースライン調査(年齢や学歴、家族構成など)、意識・価値観調査(幸せの価値や将来の夢など)、保健知識調査(HIV/AIDSなどの知識)を行なった。

 特に興味深かったのは意識・価値観調査である。赴任以来ガーナ人を観察していると、彼らは常に「お金がないから私達は幸せじゃないんだ」とお金のことばかり口にするため、彼らの幸せの価値は「お金」で計られるという印象を強く持っていた。しかし、インタビューで「どんなことに幸せを感じますか?」と聞くと、「家族が健康でいること」、「家族が一緒にいられること」と家族に重きを置いた回答が圧倒的に多く、それまでの印象を覆す形となった。また、彼らの夢を聞いてみると、子どもへ質の高い教育を与えることを強く願っている親が多く、学歴社会ガーナの現状が良く表されていた。

 私の任地では最近大学進学が一般的になりつつあるが、村ではまだ高校卒業者は高等教育を受けた少数派である。学歴を非常に気にし、学歴がその人の価値を形成する1つのバロメーターである。

 私は大学へ行くことが当たり前のように学び、卒業したが、任地にいると大学へ行くことが経済的、環境的にどれだけ大変であるかをひしひしと感じ、大学へ行く環境にあったことを両親に感謝する気持ちが強くなった。

 将来の夢についての質問で、教育と同じくらい多くあった回答は「自分の故郷に家を建てること」である。マイホーム志向が日本人と似ていて面白い。私の任地は前述したように農業をするために移り住んできた人々で構成されているため、お金をためて自分の故郷に帰り、将来子ども達に面倒を見てもらいながら老後を過ごしたいと考えている村人が多かった。

 村での調査後、女性グループの収入向上と小学校での保健クラブ活動の2本に絞って活動をすることにした。女性グループの収入向上活動では参加者が話し合って活動内容(共同メイズ栽培、ヤギ飼育)を決め、銀行に貯金をし、融資を受けてビジネスを拡大していく。収入が向上することによって村の栄養状態が改善することを目的としている。一方小学校での保健クラブ活動は学校の先生と教育省、保健省の協力を得つつ、マラリア予防のポスター作りや学校新聞作りを行い、最終的には劇を作り村で上演する予定である。このクラブ活動では保健の知識を広めるだけではなく、さまざまなアクティビティーを通じて子ども達が持っている個性や想像力を訓練、引き出していくことを目的としている。

沢山のチャレンジ

 村での活動はチャレンジの連続である。

 女性グループの活動では最初非常にやる気があって定期的に貯金をしていたものの、活動が軌道に乗って利益が出るまでには時間がかかる。さらに何をするにも非常にゆっくりで時間がかかる村人の活動であるので、当初の予想以上に進まない。

 そんな中、当初のモチベーションを維持して積極的に活動に関わるメンバーが少なくなってきている。また、前述したようにこの地域はガーナ全土から移住してきた人で構成されており、エスニックグループが混ざり合っている。そのような地域では住民同士の信頼関係構築が難しいのか、個人主義の色が強く、「コミュニティーのため」とか「グループでの共同作業による利益」といった考えが理解されにくい。特に利害が絡む共同作業はなかなかスムーズに行かないのが現状である。

 一方学校での保健クラブ活動は、授業のシラバスに組み込まれていないため、他の授業をつぶして行なうか、放課後の活動となる。しかし、午後1時半に学校が終わると、魚や野菜を近くの村に売りに行ったりして忙しい生徒達を、クラブ活動のために引き止めるのは事実上難しい。

 常に活動にはいろいろな問題が出てくるが、そのたびに悩み、他の協力隊員や配属先の同僚に相談したりしながら、今日も活動を続けている。「協力隊は現場の中の現場」にいると言われるが、ガーナ人の中に入って時には喧嘩し、一緒に笑いあい、感動したりしつつ、仕事の面でも生活の面でも本当に貴重な体験をさせてもらっている。

子ども達への思い、地域発展のために

 ガーナにいるとコピー商品が多いのに気がつく。ビスケットや飲料、服、電化製品、全てオリジナルのものと同様のパッケージにコピーして作られている。

 ガーナの教育は定義の暗記が中心であり、丸暗記をしても定義の内容を理解していないために応用が利かない、という問題点がよく学校勤務隊員からあげられる。私の活動する小学校でも暗記中心の授業で、子ども達の個性や考える力、独創性を伸ばす教育はなされていない。ポスターを描いていても何をどこに描くか、何色で色を塗るかも先生が指示する傾向がある。こういった教育の中で育つと、独創的な新商品の開発による国際競争力といった点で弱いような気がする。私達日本人が小さなときから積み木をしたり、粘土で遊んだり、お絵かきをしたりといった遊びが、実は子ども一人ひとりの想像力を訓練するものであったということにこちらで気がついた。

 小学校での保健クラブ活動を通じて子ども達が保健の知識を得るだけではなく、それぞれ持っている可能性を伸ばしていってくれたらと願っている。その結果プロジェクトの持続可能性に大きく寄与するだけではなく、ビリムノース郡の発展にも寄与するであろう。将来のガーナの発展を背負っていくのは今の子ども達である。目に見えた効果はなかなかすぐには出ないが、ボランティアだから出来る活動でもあると思っている。

ガーナにはコフィさんがいっぱい

 最後に余談ではあるが、ガーナでは生まれた曜日で名前を呼ぶ習慣がある。私が生まれた1978年8月28日は月曜日であったらしく、月曜日生まれの女の子につける名前、アジュワが任地での名前である。

 国連事務総長のコフィ・アナンさんはガーナ人だということをご存知だろうか。コフィは金曜日生まれの男の子につける名前である。私の住む町だけでも多くのコフィさんが存在する。私の任地の子ども達は日本という国名を知らない子も多い。自分の国ガーナやアメリカ、イギリスが世界のどこにあるのかもわからない。

 でも世界を舞台に活躍するコフィ・アナンさんはとても有名で、彼らの自慢である。


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